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home>〜私の自由帳〜>池田 義弘 (一社)日本バルブ工業会 バルブ部会 副部会長

池田 義弘 (一社)日本バルブ工業会 バルブ部会 副部会長

「~回想(60年前の私)~」

2020-11-02

 平田バルブ工業㈱の池田義弘と申します。現在、バルブ部会副部会長(三期目)をしております。部会では15年程前から幹事として、同時に電力弁グループ(現在の電力用分科会)メンバー・幹事として10数年、そして現在も工業用分科会のメンバーとして定例会議及び工業会の諸行事に出席・参加しております。
 そういう私ですが、近年の話しは割愛し、一足飛びにタイムスリップして60年前頃(小学高学年)の私について一端を綴り、ど田舎生活をご紹介したいと思います。
 出身は北海道の富良野であります。正確にはラベンダーで有名な「ファーム富田」がある中富良野(ナカフと言ってます)でありますが、地元の人が道外で出身地を言う時には、

人気を博したTVドラマ「北の国から」で知られるようになった「富良野」と言う方が分かり易いことから使っております。因みに、富良野はその昔「下富良野(シモフラノ)」と呼び、現在も中富良野と上富良野(カミフと言っています)と言った三市町地域があります。
 これは、東方の十勝岳連峰、西方の芦別岳連峰に囲まれた典型的な富良野盆地であり、広大な盆地の三集落を北から「上・中・下」の冠を付して命名したものと私はお思い込んでいます(㊟明治30年に三重県から始めてこの盆地に入植した地が上富良野であり、その後、南方の下富良野が出来たとの説あり)。

 ここで話を戻しますが、中富良野の水田農家で生声を上げ、幼稚園は無いですが、この村には小学校が一学年一学級規模で10校くらいありましたが、私の家は学校から遠い方で片道一里(約4km)程の距離を通いました。冬は雪が1~1.5m強積もりましたので、除雪が行き届かない日は、「下駄スキー」(50cm~1m位の長さだったと思います)を履いて通学することもありました。私の記憶では「かんじき」を見たことは無く、深雪に行くときは普通の「スキー」を履くのが習慣でした。真冬は-20℃~-30℃位でしたので、足指とか耳が「霜焼け」という凍傷に罹るのが普通でした。
 春先になると積もった雪の表面が太陽光で融け始め、夜には氷点下になる為、表層面が固まり「堅雪(カタユキ)」になるので、大雪原を普通の長靴で歩き回ることをして遊んだものです。柳の枝で「弓」を葦の茎で「矢」を作り、堅雪の上を歩き回りながら白野兎を見つけては矢を放ち捕獲ごっこしたり、又Y字型の枝を利用して「パチンコ」を作り、野鳥を射ったり、夏には小川でその弓矢で魚を射ったりして、正に原始の狩猟民らしき真似ごとをしていました。
 北海道と言えば開拓から日が浅いせいもあり、田畑は馬とプラウ(鋤の一種)で土を反転耕起していたことから、石器時代に使われたと思う黒曜石の「やじり」があっちこっちで出土しました。当時は出土品をお金にする風習では無かったので、自慢品として家で飾る程度でしたが、夏には畑の中を探し回ったものです。

 食べ物で懐かしく思い出されるのは、春先には行商人が馬車とかリヤカーで鰊を箱売りしていたのを数箱買い、数の子、白子を取り出し大きな甕(かめ)で塩漬けに、身は干して保存していたのを毎年目にしました。翌年の正月には、数の子を飽きる程食した記憶が残っています。又、鰊は肥料の「鰊かす」としても使われており、「かす」の中には適当な大きさに割かれた身も入っており、それを「おやつ」代わりにかじって食べたこともあります(今考えれば酒の肴に絶品かも)。
 秋には、庭先に於いて家族総出で樽に「味噌」と「漬物」作りを、我々子供が山から葡萄を取って来たものを大人が煮沸して、これも大きな甕で葡萄酒作りに(大人は当然「どぶろく」作りも)、年末には同じく家族総出で「餅つき」を一日がかりでやっていたことなど、当然今では見られない光景がしっかりと脳裏に焼き付いております。
 最後にもう一つ、冬は前述の如く氷点下は普通のことであり、習慣として寝床には「稲藁」を打ち柔らかくなったものを30cm位の厚みまでそれ用の布団袋に満杯に詰めて、それを敷布団の下に敷いて(ベッド見たいな感じで)寒さを凌いだものです。言うならば、馬小屋の「寝藁」と同じ考えの発想でしょうか。長靴の中にも「稲藁」を敷いて「凍れ(シバレ)」を和らげていたこともありました。
 まだまだ、今では考えられない、信じられない生活光景がありますが、誌面の都合上ここで幕引きとします。

<この記事に掲載させていただいた写真の引用元>
我が古里「ナカフ」駅標識(三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員・森下辰衛オフィシャルサイト 「向こう岸へ渡ろう」、2020年7月23日掲載  Go To お花畑 ― 中富良野)
冬の富良野盆地と十勝岳連峰(北海道議会議員・北口雄幸ホームページ ふるさと紹介「中富良野町」より)
出土した黒曜石のやじり(goo blog 「北海道十勝から然別湖くん発信」、2020年8月24日掲載  先っぽに付けるのになぜか矢尻「黒曜石」)

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